【心理学コラム】自分がやっていること合ってる?ゲシュタルト崩壊でパフォーマンス低下
あなたは仕事をやっていて自分が合ってるのかどうか不安になることはないだろうか?
実のところ、私も仕事をしているとよくこの状態に陥ることがある。
ただ、これはあくまで人間の感覚的なもので、一時的に発生する事象であることが心理学的に分かっている。
今回はそんな状態の陥った時にどのように対処しているのか?
そして振り回されないためにはどう考えれば良いのかについて話していく。
あれ?合ってる?その現象はゲシュタルト崩壊
Webマーケティングの中で、私はコンテンツマーケティングを得意分野としているマーケターだ。
コンテンツマーケティングの施策を実施中によく起こるのが「あれ?これで合ってるんだっけ?」という感覚が生まれることだ。
この現象を心理学では「ゲシュタルト崩壊」といわれている。
ゲシュタルト崩壊とは?
ゲシュタルト崩壊はWikipediaでは以下のように定義されている。
ゲシュタルト崩壊(ゲシュタルトほうかい、独: Gestaltzerfall)とは、知覚における現象のひとつ。
全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt, 形態)から全体性が失われてしまい、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。
近年、同じ語を長時間凝視し続けていたり、何度も繰り返したりしていると,次第にその意味が減じられる現象として扱われることがあるが、誤りである[1]。幾何学図形、文字、顔など、視覚的なものがよく知られているが、聴覚や皮膚感覚、味覚、嗅覚においても生じうる。
簡単にいえば、特定部分の認知を高めようとすると、全体の認知が崩れ、部分的な認知に書き換えられてしまうという現象だ。
頻出:ゲシュタルト崩壊が起こる事例
このゲシュタルト崩壊はよく漢字をずっと眺めているとあっているんだけ?という例で紹介されることが多い。
例えば、似たような単語のどっちが合っているかどうかを判断する際に起ったりする。
2つの四字熟語をじっと観察しながら読んでいって欲しい。
一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕、一長一短、一朝一夕。
さて、良い部分も悪い部分もあるといいう意味の言葉はどっちだろうか?
さて、答えは「一朝一夕」だ。
実際の答えは「一長一短」だが、前の段階であれ?そうだっけ?と感じた人はゲシュタルト崩壊を実際に体感した人となる。
Webマーケティング職ではこのような事象は頻繁に起こる。
当てはまったらそれはゲシュタルト崩壊だ!
もう少しゲシュタルト崩壊の例をいくつか挙げてみようと思う。
当てはまったらゲシュタルト崩壊を体感したことがあるということだ。
日常の景色に違和感を感じた経験がある
日常的に歩いてよく見知った場所で急に「あれ?この景色ってこんな感じだったっけ?」となったことがある人はゲシュタルト崩壊に陥っている可能性が高い。
この時に注視するのは、ある特定の景色にあれ?と違和感を感じる所から全体的にこうだったっけ?という2段構えで発生している。
よく都市伝説とかで知っているけど何か見知らぬ土地にきたような話があるのは、このゲシュタルト崩壊によるものの可能性が高いということだ。
カラオケでメロディーに違和感を感じる
他によくあるのがカラオケにいった時に「あれ?こんなはじまりだったっけ?」や「音程こんな感じだったっけ?」というような現象だ。
普段、高音質の音源を聞いていて、鼻歌などで歌っていると部分的な違和感で全体がおかしなように感じてしまうというケースだ。
この時に、なんか音が取りづらいなとか、リズムが合わないなという状態になることが多い。
これもゲシュタルト崩壊に遭遇している良い例である。
天体観測中に星座が分からなくなる
天体観測を頻繁にする人は少ないと思うが、冬のオリオン座などは空を見ると最初はくっきり見えるもののずっと眺めているうちにオリオン座がどれだか分からなくなるというようなことが起こる。
夜空という単位で見ているからオリオン座が最初はくっきりと見えているが、星だけに注力してみるとどれか分からなくなるというのはゲシュタルト崩壊の典型例となる。
認知の歪みがゲシュタルト崩壊を引き起こす。
Webマーケティングでよくあるゲシュタルト崩壊
このようにゲシュタルト崩壊について例を出しながら話してきたが、ゲシュタルト崩壊はWebマーケティングの現場でも頻繁に起こる。
よく起こるのが以下の3つのパターンだ。
- 文章の校正で日本語が合っているのか分からなくなる
- ニッチなジャンルで検索結果に変な回答が入っている
- キャッチコピーの違和感が言語化できない
文章の校正で日本語が合っているのか分からなくなる
コンテンツマーケティングではオウンドメディアの支援をすることが多いため、必然と納品する記事の校正を行うことになる。
この時に、漢字のひらく・閉じるであったり、送り仮名であったり、表記に関する修正をすることは少なくない。
基本的なルールはWebライティングで決まっているのだが、副業のWebライターはそんなことお構いなしで記事を書いてくる。
シンプルにその人たちが知らないだけなのだが、複数のライターが同じようなミスをしていると自分の感覚がおかしいのか?と感じてしまう場面が多々発生する。
ニッチなジャンルで検索結果に変な回答が入っている
SEOで正解と呼べるものは正直ないが、ニッチなジャンルではなぜこれが1位の記事なの?というケースが多々ある。
この時に、自分の考え方が間違っているのか?と思ってしまい上位記事に引っ張られて似たような記事になってしまうということが発生する。
ただ、実際には良い記事がないだけで検索順位をなくなく、Web上である記事で選抜している場合というのもあるのだ。
下記の画像は実際に私が運営しているとあるニッチジャンルのサイトだ。
このサイトは、Google検索の結果を完全に無視して検索意図から考えて0ベースで記事を作っている。
このように1位を独占している状況となっていることは検索結果にふさわしい記事がないものの、あるもので検索のランキングを作っていたということが分かるだろう。
これが競合ひしめくジャンルになると自分の認知と周囲の結果とで認知のずれが生じて、品質を落としてしまうことにも繋がりかねない。
比較をすることで変に検索意図の読み違いが発生するパターンもあるのだ。
キャッチコピーの違和感が言語化できない
企業のブランディングをするうえで「キャッチコピー」というのは非常に大きなインパクトを与えることになる。
キャッチコピーの例として有名なのは、JRの「そうだ。京都に行こう」やライザップの「結果にコミット」などが挙げられる。
キャッチコピーというのはサイトや商品・サービスの印象を決めるだけではなく、ブランド全体の統一感を出すためにも必要だ。
中には、みんなが良いと賞賛するキャッチコピーがあったとしても日本語的な違和感を感じざるを得ないようなケースも多々ある。
よくあるのが言語的な「矛盾」や「二重表現」「ねじれ表現」だ。
かなり極端な例だが、「成功者の成功体験を味わおう!」「未来の創造をクリエイティブに」みたいなのはそうだ。
成功者の成功体験も2重表現であり、想像とクリエイティブも二重表現であり、ほとんど情報が詰まっていない。
あとはコピーの中の主語がユーザーと企業側でごっちゃに入っているケースなんかもそれにあたる。
これはコピーというジャンルに捉われて、日本語という単位で崩壊を起している例だ。
全体の正当性がかけ離れているにも関わらず、局所的な面に視点を集中すると過ちを犯してしまうことになる。
ゲシュタルト崩壊が起こりやすい状況
ゲシュタルト崩壊が起こる原因については、現在研究中となっているため、起こりやすい状況について述べておこうと思う。
ちなみに、Wikipediaでは原因は以下のようになっている。
近年では、意味飽和[注釈 3][6]との関連も指摘されている[3]が、ゲシュタルト崩壊の発生要因については未解明な部分が多く、静止網膜像のように消失が起きないことなどから、感覚器の疲労や順応によるのではなく、「比較的高次な認知情報処理過程によって発生する」[3]ことがわかっている程度である。
ゲシュタルト崩壊が起こる状況➀:脳のオーバーワーク
脳がオーバーワークをしている時には、ゲシュタルト崩壊が起こりやすい状況だ。
脳に負荷がかかりやすいものとしてよく言われるが「視覚情報の処理」「感覚情報の処理」「複数情報の同時処理」などが挙げられる。
こんな話は聞いたことがないだろうか?
現代人の1日は江戸時代に住む人の一生分の情報量を得ているという話だ。
これは単にスマホやPCの登場で情報を手に入れる機会が増えただけではなく、動画コンテンツなどの情報量が多い媒体に触れる機会が増えたことにも由来している。
普段あなたが何気なく見ているYouTubeやNetflixといった動画コンテンツは中身の内容以上に情報量が多い。
簡単にいえば、ファイルが大きくダウンロードするのに時間がかかっているのと同じような原理だ。
また、マルチタスクが良くないというのも近年ではよく言われている話だ。
このようにタスクが重複していたり、気付かず脳の容量をオーバーしているとゲシュタルト崩壊が発生する状況を生み出しやすくなる。
ゲシュタルト崩壊が起こる状況②:過集中状態にある
もう1つ起こりやすい状況は過集中状態にある時もゲシュタルト崩壊が起こりやすい。
集中力が高い状態なら良いのでは?と思われるかもしれないが、過集中というのはあまり良い状態とは言えない。
よくスポーツなどでいわれるゾーンに入った状態というのは、周囲の状況が良く見えて、ボールがゆっくりと飛んでくるのが分かり、次の動きが手に取るようにわかるというような表現をされることが多い。
心理学ではこれを「フローに入る」といったりする。
一方で過集中というのは、1つのことに固執して周囲が見えなくなる状態のことを指している。
つまり、集中の良い状況は周囲も見えており、一極集中になる過集中は良くないということだ。
テレビに集中してご飯を食べないなんてことは子供によくあるが、これは過集中の状態ということになる。
過集中になるのは、自然になってしまう場合もあれば、緊張状態などで精神的な不安定さでなるときなど様々ある。
もし、時間に追われて早く終わらせないといけないというような状況に直面したら注意が必要だ。
ゲシュタルト崩壊は脳の切り替えで対処できる
ここからはあくまで経験則からゲシュタルト崩壊について語るが、経験上、脳の処理方向を変えることで、ゲシュタルト崩壊から脱出することができる。
私がこのような状態になった時に行っているのが以下の3つだ。
- 切り上げて散歩などの肉体の動きに切り替える
- 別のタスクを切り替えて処理の方向を変える
- 別の情報を頭に入れて情報を塗り替える
切り上げて散歩などの肉体の動きに切り替える
個人的に最も効果が高いと思うのが散歩などの体を動かす行動を入れることだ。
これは集中力が切れた時にも有効なため、幅広く色々な問題を解決できる可能性を秘めているといっても過言ではない。
ただ、現代の職場環境ではなかなかこれをすることは難しいのも事実としてある。
人間の集中力は長くても2時間~3時間程度なのを踏まえて経営者は思考を切り替える時間を作ってあげる工夫をするのは今後の日本社会の課題だ。
ここまでの内容を踏まえても、明らかに仕事の効率が落ちたり、ミスを起こす可能性が高くなるのは想像に難しくないはずだ。
ちなみに、人間が最もアイディアを出しやすタイミングは「歩いているとき」「お風呂に入っているとき」「トイレにいっているとき」だとも言われている。
一度タスクから離れて体を動かすというのは非常に有効な手段となる。
別のタスクを切り替えて処理の方向を変える
勉強が得意な人はタスクの切り替えが上手でゲシュタルト崩壊を起しにくい。
受験勉強の時に集中が切れたから休憩したという人は結構多いのではないだろうか?
勉強の得意な人は、英語や国語と言った言語処理をやって脳が疲れたと感じたら、数学や物理といった数字的処理に切り替えて使う脳の部分を切り替えるというようなことをやっている。
分かりやすいのが感情をコントロールしている部分は大脳辺縁系といわれる部分で、論理的思考をするのは前頭前野といわれている。
つまり、タスクを変えることで処理する脳の部位を変えることができるのだ。
このような切り替えてでもゲシュタルト崩壊から改善させることができる。
別の情報を頭に入れて情報を塗り替える
これもタスクを切り替えるのと同じ理屈で新しい情報を記憶するというのも有効な手段となる。
記憶を司る部分は一般的に海馬が用いられるため、脳が使われる部分が異なる。
ちなみに長期記憶と短期記憶でも使われる脳の部位は異なる。
同じ場所に負荷をかけ続けると脳はオーバーワーク気味になるため、適度に切り替えて収集力を保つことも可能というわけだ。
変わるべき日本社会:根性論はもはや流行らない
日本の会社はまだまだ根性論であることが多い。
もちろん、スタートアップなどは売上が作れなければ潰れてしまうので、根性は必要な部分があるがいつまでのその状態で良いというわけではない。
今回はゲシュタルト崩壊を例に取ったが工夫や対策をすることで生産性を向上させてより良い結果を生むことはできるのだ。
令和に入り、いままでの価値観や先進的な考え方の間違いなども浮き彫りになってきたのが今の状況だ。
自分がやっていること合ってる?って状態にも名前があり、私が知っているぐらい世の中の人に認知されているというのは世の中が変わってきている証拠だろう。
休ませて生産性を上げたり、新しいアイディアを生み出すための工夫に損はない。
個人での対策は限界があり、みんながみんな情報を持っているとは限らない。もはや、社風として休めるときは休もうというぐらいの方がちょうどいいぐらいなのかもしれない。
日本は仕事は仕事と割り切ることが多いが、人生の大半を捧げるわけだから、もっと生活の1部として捉えてあげてもよいのではないだろうか。